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ペルーの概要

ペルーはどんな国?

ペルーは南米大陸の中西部に位置している国で、エクアドル、コロンビア、ブラジル、ボリビアおよびチリと国境を接しています。日本の約3.4倍の国土に様々な地勢が存在し、その気候や風土により大きく3つにわけられます。

太平洋に面する海岸砂漠地帯、壮大なアンデス山脈が続く山岳地帯、密林が果てしなく広がる熱帯雨林地帯という3つの地域です。

コスタ(海岸砂漠地帯)---国土の約10% 主な都市・リマ、イカ、ナスカ、チクラヨ、トゥルヒージョなど。
太平洋沿いの約2200キロメートルに及ぶ地域はほとんど雨が降らず、砂漠となっています。アンデス山脈を起源に川が流れてきており、昔も今もその水を利用して人々は生活をしています。主要な産物は綿、米、砂糖、果物、ワインおよび鉱山物です。

シエラ(アンデス山岳地域)---国土の約30% 主な都市・クスコ、プーノ、アレキパ、ワラスなど。
万年雪の山々は標高5000メートル以上、6000メートル級も数多く、ペルー最高峰・ワスカランは6768メートルです。アンデス山脈には無数の谷や湖沼、アルティプラーノと呼ばれる高地平原があり、標高3000メートル以上の場所にも多くの人々が暮らしています。主要な産物は、じゃがいも、穀物、野菜などがあり、畜牛、採鉱業、織物業が盛んです。

セルバ(アマゾン熱帯地域)---国土の約60% 主な都市・イキトス、プカルパ、マヌーなど。
一年中高温多湿な熱帯雨林のジャングル。広大な森林は動植物の宝庫です。ちなみにアマゾン川の源流はペルーにあり、マチュピチュに降った雨は大西洋に流れ出ます。主要な産物は材木の他、ゴム、米、果物、コーヒー、茶、石油、自然ガスなどが挙げられます。

ペルーの基本情報

項目 内容
国名 ペルー共和国(漢字では秘露と書きます)
人口 約2950万人(2010年推定)
首都 リマ (人口約900万人)
言語 公用語はスペイン語、ケチュア語、アイマラ語
人種 メスチーソ(先住民とヨーロッパ人の混血):45%、先住民系:37%、ヨーロッパ系:15%、その他:3% (日系ペルー人は約8万人)
宗教

カトリックが約85%、プロテスタントおよびその他キリスト教系が13%、その他土着宗教など。

歴史 歴史の項目参照
政治

一院制議会にもとづく立憲共和制。
2011年に大統領選挙

経済 水産業(太平洋沿岸の豊かな海産物)、鉱業(アンデス山脈を中心とした鉱物資源)、観光業(世界遺産は10箇所)など。
地理 コスタ(海岸砂漠気候地帯)、シエラ(アンデス山岳気候地域)、セルバ(アマゾン熱帯気候地域)の各地域に分けられる。
気候 コスタ(海岸砂漠気候地帯):この地域は難関の気温が20度前後で雨が少ない地域です。シエラ(アンデス山岳気候地域):この地域は標高が高く気温は低めで日中と朝晩の気温の差が激しいのが特徴です。セルバ(アマゾン熱帯気候地域):年間平均約3000mmの降雨があり、気温も平均26度前後と高く、高温多湿の亜熱帯性気候です。
時差 日本より14時間遅れ(UTC -5)。サマータイム期間はありません。
通貨 ヌエボ・ソル(表記はS/.)。新しいソルという意味で、かつて使用されていた通貨ソルに代わって導入。(ソルとは太陽という意味)
紙幣は10、20、50、100、200、貨幣はヌエボ・ソルが1、2、5、ヌエボ・ソルの下の単位センティモ(1/100ソル)が、1、5、10、20、50となっています。ただし1センティモは廃止予定。
1S/.= 100 Centimos
電話 国番号51。公衆電話が広く普及しており、コインを使用して電話が掛けられます。
またテレフォンカードがキヨスクなどで販売されており、カードのコード番号を入力し使用することも可能です。
電気 220ボルト/60アンペアです。国内で使用されるプラグの形状、コンセントはほとんどがA型もしくはC型です
治安 特に観光客を狙った犯罪(置引き・スリ)には注意が必要です。不特定多数の人間が出入りする場所(空港やバスターミナル)や人気の少ない場所、夜の一人歩きにも十分ご注意下さい。
営業時間 通常の商店、デパートなど(10:00〜20:00)、スーパーマーケット(10:00〜22:00ごろ)レストラン(昼食13:00〜、夕食19:00〜が一般的)
飲料水 水道水はうがいや歯磨き程度。飲用には適していません。ボトル入りのミネラルウォーターをご利用ください。
炭酸入り(Con gas)と炭酸なし(Sin gas)があります。
空港税 リマ空港の国際線空港使用税はUS$31.00。国内線空港使用税は利用する空港により異なります。(リマ:US$ 6.82 クスコ:US$ 4.28 フリアカ:US$ 3.47など)
ペルーの祝日(2010年)
  • 1月1日: 元日
  • 4月1日〜2日: セマナサンタ/聖週間(Semana Santa)
  • 5月1日: メーデー
  • 6月29日: 聖ペドロ、聖パブロの日
  • 7月28、29日: 独立記念日
  • 8月30日: 聖ロサの日
  • 10月8日: アンガモスの戦い日
  • 11月1日: 諸聖人の日
  • 12月8日: 聖母受胎の日
  • 12月25日: クリスマス

ペルーの物価情報(リマ)

ペルー到着、これからペルーを楽しむ旅行が始まる、というとき、いろいなペルーの便利情報が必要となります。バスやタクシーは一体いくらするのだろう?飲み物は?など、一般的な物価情報を以下に揃えました。

項目 内容
市バス バス(オムニ)、ミニバス(ミクロ)、ワゴン車(コンビ)といった市内路線バスがあります。路線が網の目のように張り巡らされていますが、利用するには経験が必要ですので、タクシーなどを利用することをおすすめします。
タクシー 街中を走るいわゆる「流し」のタクシーにはメーターが付いておりません。目的地を運転手に伝えてから料金交渉をする必要がありますので注意が必要です。不安な場合にはホテルのフロントでタクシーを呼んでもらう等の方法があります。地区間のおおよその料金はこちら「リマのタクシー」をご覧ください
空港タクシー S/. 40.00 [約1600円](サンイシドロ地区)、S/. 45.00 [約1800円](旧市街地、ミラフローレス地区)--TAXI GREEN社 ※行き先により異なります。
日本への郵便料金
(はがき、封筒)
S/. 6.50 [約260円]
日本への電話料金 Telefonica(1分につき) S/. 0.50 [約20円] (公衆電話)
インターネットカフェ 15分:S/. 1.00 〜 S/. 3.00 [約40円 〜 120円]、
1時間:S/. 3.00 〜 S/. 7.00 [約120円 〜 280円]
ミネラルウォーター
(500ml)小売(1本)
S/. 1.00 〜 S/. 2.00 [約40円 〜 約80円]
ビール 小売(1本) S/. 3.00 - S/. 5.00 [約120円 〜 約200円]
タバコ 1箱(KENT) S/. 6.50 [約200円]
昼食(一般的な食堂)
定食メニュー(Colacion)
S/. 5.00 〜 S/. 15.00 [約200円 〜 約450円]
昼食(McDonald's)
セットメニュー(Combo)
S/.15.00 [約600円]

ペルーの歴史

ペルーにおける初期文化

プレインカ時代

プレインカ文化(インカ帝国以前の時代の文化)は約1400年にわたりペルー沿岸地域、山岳地域に反転してきました。いくつかの文化は、その文化的影響力を発揮し現在のペルー国内に小さな地域ごとのまとまりを作りました。それらの文化は沿岸地域に発展した土器の技術、環境や自然の利用と驚くべき順応といった部分に良く現れています。このような文化的基礎をもとに、その後のインカ文明が発展していくのです。

ペルーにおける初めての都市化が見られたのは、紀元前1200〜200年にウアンタル(アンカッシュ)においてです。ここでは神政的な支配がベースになり、猛獣などが壁画として見られるチャビン・デ・ウアンタル宮殿に中心地を定めていました。

紀元前200〜紀元後600年にはパラカス文化がペルー南部海岸地域に起こりました。ここでは織物の技術の発展が顕著に現れています。

一方北部海岸地域では紀元前200〜紀元後600ごろにモチェ文化が興りました。ここではシパンとして知られるように沿岸部渓谷における軍隊による権限が定着しました。モチェ文化のウアコや図像にはデザイン的な面そしてその組み合わせ方法などに驚くべき技術が伺えます。

ペルー山岳地域では紀元前200年ごろには、チリ・ボリビア付近にあるコジャオ地方にティアウアナコ文化が興ります。また農耕地、傾斜地の段々畑、そして農業における多様で生態学的な技術を現在の我々に残しました。

紀元前300〜紀元後900年にかけて興ったナスカ文化では、沿岸砂漠地帯という過酷な環境下に地下水路を作り、ナスカの地上絵で知られる巨大な幾何学模様の絵を大地に残し、現在でも驚くほど精度の高い農業用カレンダーを作りました。

ワリ文化

600年ごろに興ったワリ文化では、アヤクーチョ地域に都市の基礎をもたらし、その後その文化がアンデス地域一帯に広がっていきました。

700年ごろの高度なチムー文化では金や各金属類を利用した作品が作られたことで知られており、またトゥルヒージョ近くにあるチャン・チャン遺跡に見られるような泥を固めた建築資材を用いて作られた都市ができました。

800年ごろに興ったチャカポーヤ文化では、ペルー北部森林地帯を利用した、農耕地の有効利用や高地での農業を行っていました。偉大な要塞都市として有名なクエラプをみれば、環境にいかに良く順応したかが伺えます。

インカ帝国時代

インカ帝国時代
1200年〜1500年ごろに発展したインカ文化は南米における最も重要な都市化であったといえます。経済活動、富の分配システム、芸術面・建築面における高度な技術などは、現在でも歴史家をはじとする人々に賞賛される要素が数多く見受けられます。

インカ人は大地(パチャママ)と太陽(インティ)を崇拝したといわれます。タウアンティスーヨの主であるインカは、聖なる者、太陽の子であるとみなされ、そのことから伝説として有名な、太陽はその息子たち(マンコ・カパックとママ・オクリョまたは4人兄弟という説では、アヤルとその妻たちのこと)をタウアンティスーヨの中心である聖なる都市クスコに送ったという言い伝えが生まれました。

インカ帝国の勢力拡大は、その強大な組織に基づいていることが分かります。人口は以前の文化より発展したアイルと呼ばれる集合体から形成されていました。インカ帝国では賞罰による人々の動員といった、以前の各文化で発展した要素を組み合わせ、その領地を拡大していったことがわかります。

インカ帝国の血族関係のグループは、親戚や子孫で形成された組織で“パナカ”とよばれます。16世紀のスペイン人研究者によると、伝説のマンコ・カパックからアタウアルパまで13の皇帝が存在したことが分かっています。

タウアンティスーヨまたはインカ皇帝はボリビア、エクアドルの領地全を含む、北はコロンビアから南はチリ、アルゼンチンまでの領地を支配するにいたります。

パナカと呼ばれるグループはインカ帝国では皇帝を先頭に貴族に属していました。皇帝またはパナカの権力は帝国内すべてにいきわたっていました。特にクスコにある建築物である、コリカンチャ、太陽の神殿、オジャンタイタンボ神殿、サクサイワマン、マチュピチュなどがその例と言えるでしょう。

スペインによる植民地時代

フランシスコ・ピサロ

16世紀スペイン征服によるインカ文化とスペイン文化とのが交わることとなります。1532年にはフランシスコ・ピサロの従軍がカハマルカでアタワルパを捕らえたれたのをきっかけに、インカ帝国の人口は急激に減ります。さらに1542年にはペルーに副王が誕生し、インカ帝国は滅びスペイン植民地となります。

16世紀のフランシスコ・トレド副王の時に、彼が植民地経済の基礎を定着させたように、スペイン人の入植が強化されます。彼は先住民たちを鉱山労働者や工芸品製作労働者として支配しました。
しかしながら18世紀にはいると、スペイン本国の混乱に乗じてペルー社会でも、社会階層間で多くの混乱を生みました。その中で最も重要な要素は先住民族とトゥパク・アマル2世が起こした反乱であり、この結果植民地生まれのクリオージョたちに19世紀に向けて独立の気運を与えたのは言うまでもありません。

16世紀から17世紀にかけてペルーでは高度な製品類やペルーで生まれた植民地芸術の数々など、スペインの文化との融合が進みました。またスペインは17世紀まではペルー副王領としてパナマから南米大陸最南端のフエゴ島までの領地を支配していました。

ペルーの独立、苦難の19世紀末

サン・マルティン
ペルーは1821年にサン・マルティンのもと独立を宣言し、1824年にはシモン・ボリバルが独立戦争の終結を宣言します。このように独立を果たしたペルーですが、19世紀に入り国家は内紛により疲弊してしまいます。

1860年までグアノ、綿花、砂糖といった生産を先住民族や黒人奴隷を使い行ってきました。その後、中国人やヨーロッパ人が入植し生産活動に必要な人手を補います。さらに史上初の民間人大統領として政治を執ったマヌエル・パルド大統領のもと、鉄道施設などを行います。また19世紀末はじめて日本人がペルーへ入植しました。

1879年ペルーはチリとの間の太平洋戦争に負け、破産状態にまで追い込まれます。その後経済はゴム栽培や金の輸出などで少しずつたち直りますが、一部の貴族階級ともよばれる富裕層が経済的に優位な部分を支配する体系は変わりませんでした。

20世紀〜現在への道のり

フアン・ベラスコ・アルバラード将軍
その後1960年代に入るとペルー軍のフアン・ベラスコ・アルバラード将軍による軍事革命が起こります。この革命により石油会社の国有化、大土地所有者を排除するための農業改革など社会主義的な改革を実施し、短期的にはいくつかの成果が得られましたが、長期的にみるとペルー国内経済には大きな打撃となりました。その後同じく軍人のフランシスコ・モラレス大統領に代わりましたが、1980年には経済、社会ともに危機的状況となり、最終的に政策に対し市民の同意が得られることはありませんでした。

1980年には大統領総選挙が行われましたが、すでにあった社会的不満がセンデロ・ルミノソなどの一部のテロリストを生むきっかけとなりました。1984年には経済的な盛り返しを図るアラン・ガルシア大統領が選ばれましたが、再び経済が悪化し、ハイパーインフレを引き起こしました。

日系ペルー人大統領誕生

アルベルト・フジモリ元大統領
1990年に史上初の日系人大統領、アルベルト・フジモリ大統領が当選すると、大規模な経済・政治的な構造改革を行い、アメリカ合衆国や国際通貨基金による指導の下、外国資本の誘致など様々な政策を行いました。1992年には自己革命を実行し大統領の権限を強化していきました。テロ組織に対しても強硬な姿勢をとっていますが、1995年の2選目の大統領選挙でも当選した一方で権力集中に対する批判として、1996年12月に行われた日本大使公邸での天皇誕生パーティーの際、「トゥパク・アマル革命運動」による公邸占拠事件、という形で現れてもいました。その後大統領選3選を果たしましたが、大統領側近による野党買収疑惑により大統領職を辞任にし、そのまま東京に亡命しました。

現在のペルー

アラン・ガルシア大統領
その後、アレハンドロ・トレドが当選し、“貧困との闘い”を政治的方針とし政策を行いました。しかしながら、様々な公約と現実の政策が大きく異なり、なかなか支持率を上げることが出来ないという状態が続きます。その後、2006年に、1984年以来2度目の大統領として、アラン・ガルシア大統領が就任しました。以前には経済的危機に落としいれた張本人としての悪いイメージがあったため、当初から貧困対策、雇用拡大他、国民生活の向上を公約として取り入れました。2011年に任期を終え、新しい大統領が2011年6月に選挙にて選ばれます。

ペルーの世界遺産

ペルーには現在(2008年)10の地域がユネスコにより世界遺産として登録されています(すべてが文化遺産です)。かけがえのない人類の遺産を巡る旅もおすすめです。

クスコ市街

クスコ市街
インカ帝国の首都で、精巧な石組みの建築物に代表されるインカ文化の中心地であると同時に、その後作られたスペインコロニアル風の街との融合が独特の美しい街並みを作り上げています。

・関連情報: クスコ地域情報 / クスコのツアー

マチュピチュの歴史保護区

マチュピチュの歴史保護区
インカ帝国時代の遺跡として完全な形で残るこの遺跡は、数々の高度な文化が見え隠れするのと同時に、その前景と周りの山岳地帯とのすばらしい風景は、一生に一度はご覧頂きたいお勧めの場所です。

・関連情報: マチュピチュ情報 / マチュピチュのツアー

チャビンの考古遺跡

チャビンの考古遺跡
紀元前1200〜200年ごろの初期の文化で、山岳地域には神殿をはじめさまざまな土器類、宮殿内の動物などを描いたレリーフなどが残されています。




ワスカラン国立公園

ワスカラン国立公園
ペルー最高峰、6768mのワスカラン山を中心に広がる国立公園です。アンデス高地独特の地形と動物の他、大小の湖と氷河があることでも知られています。トレッキングのコースとしても有名で、チャビンの考古遺跡もこの国立公園近くにあります。



チャン・チャン遺跡地帯

チャン・チャン遺跡地帯
ペルー北部の町トルヒーヨと空港との間に点在する遺跡がこのチャン・チャン遺跡です。この遺跡はチムー文化の都市があった場所で、泥を利用して建てられた建築物など珍しい遺跡が残ります。



マヌー国立公園

マヌー国立公園
公園全体で190万平方メートル以上もある広大な公園で、マヌー川の源流一帯に広がります。公園はさらに国立公園地区、保護地区、移転/文化地区の3つの地区に分かれています。公園内には約15000種の植物、約1000種類の鳥類、約200種類の哺乳類が生息しているといわれています。

・関連情報: マヌー国立公園関連のツアー

リマ歴史地区

リマ歴史地区
リマ歴史地区としてリマ市旧市街地の一部が世界遺産に指定されています。マヨール(アルマス)広場を中心とした地域にある大聖堂をはじめとした各教会群、その他歴史的建物や博物館など、地区内のみどころは絶えません。

・関連情報: リマ地域情報 / リマのツアー

リオ・アビセオ国立公園

リオ・アビセオ国立公園
アマゾン川支流のマラニョン川とワジャガ川付近に広がる地域で、人類自然遺産と、文化遺産の複合遺産として指定されています。この地域にはたくさんの動物と先住民族が暮らしています。手付かずの自然と先住民の文化が残る貴重な場所といえるでしょう。


ナスカとフマナ平原の地上絵

ナスカとフマナ平原の地上絵
ペルー南部の砂漠地帯に広がるこの地には、無数の線、幾何学模様、動物や人物のなどの巨大な絵柄が描かれています。現在でもどのように、何のために描かれたのかが謎のこれらの地上絵は、訪れる人の興味を引いてやみません。

・関連情報: ナスカ地域情報 / ナスカのツアー

アレキパ歴史地区

アレキパ歴史地区
ペルー南部、標高約2300mのアンデス山脈の裾野に広がる高原都市です。インカ帝国時代を経て、1540年にスペインの植民地になってからは、スペインころにある風の建物が、地元で産出する白い色をした火山岩を使って建てられ、独特の“白い街”となっています。


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