| 会社紹介 | サイトマップ | Q&A | お問い合わせ |
|
|
|

|
|
|
■ ごらんいただきたい地域を下のメニューからお選びください。説明が表示されます。
- オロンゴ岬
- ビナプ
- タハイ
- プナパウ
- バイフ
- アカハンガ
- アナテパフ
- ラノララク
- トンガリキ
- アナケナ
|
タンガタ・マヌ(鳥人)を選ぶレースが行われた舞台です。そのレースでは、沖合いの島モツ・ヌイ(大きな島)へ毎年渡ってくるマヌタラ(セグロアジサシ)がその年最初に産み落とす卵を取ってくるというものです。まわりを海に囲まれたイースター島では、渡り鳥・マヌタラがマケマケ神のメッセンジャーであり、その卵にはマナと呼ばれるパワーが授けられると考えられていました。 |
|
精巧な石組みで知られるビナプ。南米プレインカ文明(インカ以前の文明)の石組みにも似ていることから、トール・ヘイエルダール(考古学者)はイースター島の人が南米起源であるという、コン・チキ理論を唱えました。また、女性のモアイとも言われている像もあります。その材質はプカオ(髷)と同じ赤色凝灰石でできています。 |
|
アフ(祭壇)が3つあり(アフ・バイウリ、アフ・タハイ、アフ・コテリク)それぞれモアイが復元されています。特にモアイ・コテリクは頭にプカオをのせ、レプリカの眼が嵌め込まれています。パイナと呼ばれる宗教儀式の舞台、住居跡・ハレパエンガ、鶏小屋・ハレモアなども見どころです。ハンガロア村からも近く、モアイの後ろに美しい夕日が沈む姿を楽しめることも多い場所です。 |
|
モアイが頭の上にのせているプカオ(髷)が切り出された場所です。小高い山の上からはハンガロア村が一望できます。かつて島では髪を赤色の顔料(キエア)で染め、髷を結う習慣があったりしました。それゆえにプカオ(髷)の材質は赤い石・赤色凝灰岩が使われていたとされています。また、プカオにはいくつかのデザインがありますが、これは髷の結い方の違いを表したといわれています。 |
|
8体のモアイがうつ伏せに倒れている場所です。すべてのモアイは17世紀中頃から19世紀中頃にかけて倒された(フリモアイ)もので、部族間の争いが主だった理由と考えられています。負けた部族の象徴でもあるモアイ像は倒され、入れられていた眼が取られ、その眼は徹底的に破壊されました。それは、眼にはマナと呼ばれるパワーがあると信じられていたからです。アフの前にはパイナと呼ばれる宗教儀式の舞台も残されています。 |
|
フリモアイ(モアイ倒し戦争)によって倒されたままのモアイが、そのままの状態で残されています。かつて13体のモアイがたっており、規模の大きな集落があったと推測されています。住居跡のハレパエンガ、かまど跡のウムパエも見どころです。また、伝説の酋長・ホツマツアが葬られている場所ともいわれています。 |
|
海底火山の隆起によりできたイースター島にはところどころに洞窟があいています。偶然にもアナとは洞窟の意味です。その中でもこの洞窟は最大規模で、全長約900メートルあります。このアナテパフにはかつて人も住んでいたと推測されており、かまども残されています。また、19世紀にたびたびやってきた奴隷狩りから逃れる為、人が隠れていたともいわれイースター島の歴史を語るうえで重要な洞窟でもあります。 |
|
モアイの「製造工場」とも呼ばれるこのラノララクで、ほぼすべてのモアイがつくられました。様々な制作過程のモアイ約400体が、1500年頃から時が止まってしまったかのように、そのままの状態で残されています。山肌から切り出される前のモアイやほぼ完成して土に埋もれているモアイなど、さまざまなのモアイをみることでいかにしてモアイがつくられていったかが、よく分かります。まさにモアイだらけの山。トイレあり(使用料:US$1がかかります)。 |
|
15体のモアイが堂々と建ち並ぶ姿はまさに壮観。ここはかつて島最大規模の集落があったであろうと推測される場所です。イースター島の東側にあるため、モアイの間に昇る太陽を眺めることができる、日の出スポットでもあります。これらのモアイは日本のクレーンメーカー・タダノの協力により修復されました。
またすぐ近くに1体だけ土の上にたつモアイ・ホツイティは、来日経験があるモアイ(1982年イースター島展)です。 地図にもどる
テピトクラ (Te Pito Kura) 伝説によると酋長・ホツマツアがこの場所にマナと呼ばれるパワーを秘めた不思議に丸い石を置き、世界の中心だと定めたといわれています。また、かつて立っていたモアイの中では最大のモアイ・パロ(9.8メートル)が倒されたまま残っています。テピトクラとは光のヘソという意味です。
|
|
白砂のビーチ、ヤシの林が美しいアナケナにはアフ(祭壇)が2つあます。アフ・ナウナウのモアイは砂に埋もれていたため風化が進まず、目鼻立ちがくっきりし、背中のレリーフもよく残っているのが特徴です。アフ・アトゥレフキの1体のモアイは酋長・ホツマツアを祀ったものだといわれ、1956年トール・ヘイエルダールと現地人ペドロ・アタンの指揮のもと再び起こされたモアイです。観光客のみならずハンガロア村の人もピクニックに訪れるため、飲み物や軽食を売る露店やトイレ(使用料:US$1がかかります)もあります。 |
|
|
|
|